ライフスタイル ネイルが結ぶもの―Lienje、再生のストーリー(前編)

能登半島地震で甚大な被害を受けた珠洲市。

ネイルサロン 「Lienje(リアンジュ)」 のオーナーである櫻井さんも、
現地で大きな困難と向き合うことになりました。
サロンと日常が一変したあの日、そして、支えてくださったお客様や地域の方々――。


この記事では、Lienje様へのインタビューを通して、被災直後のリアルな声と再生への第一歩をご紹介します。

 

目次

  • サロン紹介/オーナー様プロフィール
  • 地震発生の瞬間と直後の状況
  • 被災直後の不安
  • 直面した課題と最初の一歩
  • 後編へのご案内

 

サロン紹介とオーナー様プロフィール

珠洲市で地元の方々に親しまれているネイルサロン「Lienje」。

オーナーの櫻井さんは、お子様2人を育てていらっしゃるお母さん。
現在、奥能登で活動している数少ないネイリストの一人です。

今回、勇気をもって心境をお話しいただきました。

 

震発生の瞬間と直後の状況

Q:地震が発生した際、どのような状況でしたか?

A:珠洲市の自宅で家族と一緒に過ごしていました。
私は上の子と手をつなぎ、夫は下の子に覆い被さるように揺れが収まるのを待ちました。
その後外に出て、夫は隣に住む義両親の安否を確認しに行き、
私は2歳の子を抱っこし、5歳の子と手をつなぎ避難場所である山に登りました。

 
 ――震災当日は元旦。穏やかな時間が一変した瞬間でしたよね。
   小さなお子様たちを連れての避難、想像するだけでも胸がキュッとなります。
 

Q:サロンやご自身にどのような被害がありましたか?

A:当時は能登町にある実家の美容室の一角でネイルサロンをしており、
お店自体は壁に亀裂が入る程度で済みました。
 ――こちらのお写真は、ご実家の美容室と一緒に営業されていたときのもの。
   あたたかい雰囲気が伝わってきます。
 
 

被災直後の不安

Q:地震発生直後の心情や不安について教えてください。

A:発生直後にすぐ思ったことは 「津波がくる!」 でした。
自宅が海から近いということもあり、
とにかく子どもたちを高い場所に連れて行かなければ、という思いだけでした。
一日目は命が助かって良かったという気持ちでしたが、
避難所で夜を明かし朝になっても被災状況が分からず、これからどう行動するべきか不安になっていきました。
 
 
 ――テレビで『大津波!逃げろ!』と大きくテロップが出ていたのを鮮明に覚えています。
   瞬時の判断力と行動力に、親としての覚悟や愛情を感じます。
   能登半島特有の地理的条件や道路啓開計画の未整備、自衛隊などの部隊投入の遅れといった
   様々な要因が重なったことで初動対応が遅れ、被災者の方々は大変な不安を感じられたことと思います。
   ラジオやスマホで情報収集をしたくても、
   ネット上には偽情報も多く上がってしまい、正確な情報を得るのが難しかったですよね。
   
 

直面した課題と最初の一歩

Q:サロン復旧に向け、どのような課題に直面されましたか?

A:能登町にある実家のお店までは珠洲市から車で30分の距離でした。
まずは実家に行くルートもほとんど道が通れず、行けたのは地震から2週間後でした。
途中土砂崩れもあり通勤も難しくなりました。

自宅にサロンを移してからは家族のプライベート空間にお客様が入るため継続は難しいと判断をし、
敷地にコンテナを置くことにしました。
しかし、その後の豪雨災害で、自宅前の川が氾濫し道が崩落したこともあり、
コンテナを運び込むことができないと断られてしまいました。
補助金の申請もしていましたが一度見送ることにし、
敷地内で組み立てができるイナバ物置をサロンにすることにしました。

 
 ――移動困難や土砂崩れ、さらには再建を阻む豪雨災害まで重なり、本当に試練の連続だったと思います。
   自宅サロンから、ご家族のプライベートとの両立を考慮し新たな方法を模索された点も、
   柔軟さとご家族・お客様を思う気持ちがあらわれています。
   たくさんの困難の中でも決して諦めず、イナバ物置をサロンに転用するという発想に至った行動力には、
   逆境に負けない強い意志を感じます。
 
 

Q:再オープンに至るまで、どのような思いで取り組まれましたか?

A:震災当初ネイルサロンは廃業するつもりでした。
避難所でネイル支援をしていくなかで少しずつ心の変化があり、
そんな時にお客様から再開してほしいとの連絡がありました。
まだ私を必要としていただけているのであればそれに応えたいと思い再オープンとなりました。
 
 ――大きな困難の中で、利益や損得を超えて
   「自分が必要とされているなら応えたい」という気持ちを持ち続けてこられたことに、深く感動します。
 
   不安や迷いがあったはずの中、
   お客様や地域の方々の存在が原動力となり、前を向いて歩み続けられた櫻井さん。
   単に“仕事を再開する”というだけでなく、「誰かの役に立つために」挑戦し続ける姿勢は、
   被災地に限らず、多くの方に勇気や希望を与えるのではないでしょうか。
 
 

後編へのご案内

サロン再開に向けて動き出した後、
櫻井さんがどのような工夫と努力を重ね、地域と共に歩んでこられたのか――。

続きは後編で詳しくご紹介します。

【後編はこちら

 

櫻井さんの日々の様子やより詳しい内容は、Instagramでもご覧いただけます。
 サロンInstagramはこちら

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