能登半島地震で甚大な被害を受けた珠洲市。
ネイルサロン 「Lienje(リアンジュ)」 のオーナーである櫻井さんも、
現地で大きな困難と向き合うことになりました。
サロンと日常が一変したあの日、そして、支えてくださったお客様や地域の方々――。
この記事では、Lienje様へのインタビューを通して、被災直後のリアルな声と再生への第一歩をご紹介します。
目次
- サロン紹介/オーナー様プロフィール
- 地震発生の瞬間と直後の状況
- 被災直後の不安
- 直面した課題と最初の一歩
- 後編へのご案内
サロン紹介とオーナー様プロフィール
珠洲市で地元の方々に親しまれているネイルサロン「Lienje」。
オーナーの櫻井さんは、お子様2人を育てていらっしゃるお母さん。
現在、奥能登で活動している数少ないネイリストの一人です。
今回、勇気をもって心境をお話しいただきました。
震発生の瞬間と直後の状況
Q:地震が発生した際、どのような状況でしたか?
A:珠洲市の自宅で家族と一緒に過ごしていました。
私は上の子と手をつなぎ、夫は下の子に覆い被さるように揺れが収まるのを待ちました。
その後外に出て、夫は隣に住む義両親の安否を確認しに行き、
私は2歳の子を抱っこし、5歳の子と手をつなぎ避難場所である山に登りました。
Q:サロンやご自身にどのような被害がありましたか?

被災直後の不安
Q:地震発生直後の心情や不安について教えてください。
自宅が海から近いということもあり、
ラジオやスマホで情報収集をしたくても、
直面した課題と最初の一歩
Q:サロン復旧に向け、どのような課題に直面されましたか?
A:能登町にある実家のお店までは珠洲市から車で30分の距離でした。
まずは実家に行くルートもほとんど道が通れず、行けたのは地震から2週間後でした。
途中土砂崩れもあり通勤も難しくなりました。
自宅にサロンを移してからは家族のプライベート空間にお客様が入るため継続は難しいと判断をし、
敷地にコンテナを置くことにしました。
しかし、その後の豪雨災害で、自宅前の川が氾濫し道が崩落したこともあり、
コンテナを運び込むことができないと断られてしまいました。
補助金の申請もしていましたが一度見送ることにし、
敷地内で組み立てができるイナバ物置をサロンにすることにしました。
たくさんの困難の中でも決して諦めず、イナバ物置をサロンに転用するという発想に至った行動力には、
Q:再オープンに至るまで、どのような思いで取り組まれましたか?
後編へのご案内
サロン再開に向けて動き出した後、
櫻井さんがどのような工夫と努力を重ね、地域と共に歩んでこられたのか――。
続きは後編で詳しくご紹介します。
【後編はこちら 】
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